第19回 沈黙のマネジメント(その2)事務局

 その典型的な例が、教育の現場にあります。対話型・参加型の授業をしようと、先生が一所懸命に質問を投げかけてもなしのつぶて。小学校の間は自由活発に意見をいっていた生徒が、中学校の2年生あたりを分水嶺に沈黙を決め込むようになる。大学ともなれば、授業のスタイルそのものに問題があることもあいまって、まさにお通夜のような授業の中、惰眠と私語がはびこるという惨憺たる状況にあります。 ●どう返答していいか分からない  この場合、沈黙の意味を見つけ出すことからはじめなければありません。沈黙には二つの意味があります。一つは「思考不能」、つまり「どう返答していいか分からない」というものです。これにもいくつか種類があります。「そんなこと聞かれても何も頭に浮かばない」という「呆然の沈黙」。「何を聞かれているのか分からない」という「不明の沈黙」。「すぐに答が出てこないので、他の人の答を聞いてから考えよう」という「停止の沈黙」などです。  まずは、この見極めを、目線や態度などの非言語メッセージが行うことです。それが分かれば対処法は自ずと生まれてきます。例えば、呆然の沈黙に対しては、クローズドクエスチョンを使ったり解答例を提示するなどして、答やすい質問に変えるとよいでしょう。不明の沈黙の場合は、さらに質問の意味をすり合わせるところから始めなければなりません。加えて、停止の沈黙の場合は、前回に述べた指名のテクニックが役に立つはずです。 ●返答すべきかどうか分からない  もう一つの沈黙の意味は、「答は何となくあるのだけれども、返答すべきかどうか迷っている」といった「表現不能」です。「私の答が期待されている答なのだろうか」といった「躊躇の沈黙」、「こんなことを言ったら、みんなに馬鹿にされるのでは」という「遠慮の沈黙」。「なぜ、こんな当たり前のことを言わなくちゃいけないの」といった「自明の沈黙」などがあります。場合によっては、「答はあるのだけれども、話したくない」という「嫌悪の沈黙」もあります。  これらも先ほどと同じように、「答は持っているものの何ら理由で表現不能になっている」ということが、場の空気から読み取れれば対処法は見えてきます。躊躇の沈黙に対しては、「正解はありませんので、何でもいってください」、遠慮の沈黙に対しては、「人は人、自分は自分、違う意見こそ歓迎します」と投げかけるのが常套手段となっています。自明の沈黙には「当たり前のことと思っても、私は皆さんにはそうでないかもしれません」と伝えるとよいでしょう。嫌悪の沈黙には「そりゃ、答えにくいですよね」と共感を誘うのが効果的です。   いずれの場合でも共通に使えるのが、意見を口頭で述べるのではなく、文章に書かせるというテクニックです。どんな働きかけをしても意見が出ないときには、一度試してみるとよいでしょう。