第14回 困ったチャンを、社会関係資本から見ると(応用問題 その参)事務局

 総じて「困ったチャン」は、ヒトの脳の優れたところをうまく活かせず、「煩悩グセ」に陥っているということができるかもしれません。当然、話し合いの品質保証を損なう可能性の多い方々です。その困ったチャンへの具体的な対処法については、堀さんの本やコラムなどを読んだり、本会の研究会においでになってみてください。ここでは、社会関係資本「的」に考えられるケースをいくつかあげてみることにしましょう。 ●人の話を聞かないで自分のことばかり言うヒト   あっこれ、私です。  他人の意見をあまり聞いていないようです。上司や部下、親や嫁さんや友人の意見を聴いているようで、聴いていない。そんななかで聞き取れた話は自分に分かる範囲のことばかり。それを自分の経験のフィールドで解釈して、自分しか分からない言葉で表現する。意見の端々に、「私はこう思う」「こうでなきゃおかしい」「こうあるべきだ」という発言が目立ち始めたら要注意。私はこれをよくやってしまいます。  こういうヒトは、他人を理解したり、より良い解決案や代替案(オルタナティブ)を探ったりして視点(他者の視線)を広げていくよりも、自分の効用としての「意見を通す自己満足感」のほうに喜びを見いだすようです。こういうヒトにいくら「他人の意見を傾聴しましょう」と言っても、ムダになりかねません。私がファシリテーターだったら「あなたの『べき論』はいらないよ」と言ってしまうのですが、それが「同じ穴のムジナどうしの戦い」になることは、賢明なみなさま方にはお分かりのはず。(看脚下) ●自分の置かれた役割・役職からだけ意見をいうヒト  結束型組織に多くみられるのが、こういう方々。社長や部長、なんとか係という「責任」の発生する役割だけがこの方々の発言基準です。公務員でいえば事務分掌の範囲内でしか意見を言わないヒト。「私の立場では、その意見には賛成できないな」「オレの立場も考えてくれよ」など、「立場」という言葉が出たら要注意。  役割や立場が固定してしまうと、話し合いのなかにおのずから「立場上強いヒト」と「弱いヒト」の区別ができかねません。そうすると、たとえばビジネスゲームなどにおいては、「強いヒト」は、「みんな私と同じくらい物分りが良ければいいのになあ」と思いながら発言し、「弱いヒト」は「どうやったら議論に勝てるのだろう」という意識で発言することになるケースが増えます。気持ちがすれ違ってきますね。そして時には、「強いヒト」が「弱いヒト」からのしっぺ返しや裏切りにあうことも多いというのです。上司が、信頼を寄せていた部下に裏切られたという話、よく聞きますよね。あれです。(南無三) ●すぐ結論づけるヒト、  よくいえば短気なヒトです。他のメンバーよりも機転がきき、目先が利いているので「見切り」が早いのでしょう。意見が出つくしていないのが明らかなときでも「こうしようよ」「いいからこれで行こう」「いいからやってみよう」と、「いいから」という意見封じ言葉が出たら要注意。  こういう方々は、話し合いというものは「立場の違う者どうしが集まって、一定の結論を出すもの」という意識が強い方々です。合意ではなく結論が必要なのだ、と思っています。話し合いそのものが人と人との関係性を作り出し、何かの新しい意味を作っていくのだというなどという意見は「まどろっこしい」、と感じられるのでしょうね。数えたり計ったりすることだけが、結論を導き出すてだてではないはずなのですが。(不昧因果) ●批評家的、否定的意見ばかりいうヒト  他人の意見の悪い部分だけ取り上げるヒト。後ろ向きの意見ばかりいうヒト。しかもそれが、自分だけの意見ではなく、世の中的にそうだよ、という隠れ蓑をまといながら話すときが多いので困ります。「一般的には」「世間では」「みんなそう言っているよ」などの、「一般化表現」が飛び出したら要注意。それは社会関係資本的な「社会/みんな」ではなく、そのヒトの思っている「世間/みんな」なのです。それは自分の家族とか、気のおけない友人のことですし、極端に言えば、「みんな」とは自分のことです。自分や家族や友人には強い信頼を寄せても、それ以外の人たちには常に警戒心を持っているようです。  個人攻撃や批判、あるいは批評家的、否定的な意見というのは、不安感や警戒心の裏返しという意見もあります。自分の利得だけを考えている利己主義の傾向が見られる場合もあります。自分以外のヒトも利得中心で動いていると思っているので、「あなただって」とか「みんなだって」とか、「だって」付き発言も多くなりがちです。こういう方には、ごほうびを期待しないでボランティアで働いてみたら、と言いたくもなりますね。(喝!) ●冗談やおちゃらけ、おじんギャグばかり飛ばすヒト  あっ、これも私です。話し合いの中ではどうか無視してください。そうすれば、そのうちメゲておとなしくなります。「笑いは必要だ」とか口では言いますが、それほど機を見て行なっているわけでもありません。ただ言いたいだけなのです。単純で対処の楽な「困ったチャン」です。だいたい社会関係資本にたいした影響を及ぼしませんから。(合掌) ●ファシリテーターの気持ちが楽になるように、簡単な分類をしておきましょう  あまりいいやり方ではないのですが、「自分にとっての困ったチャン」を簡単に分類しておくと、その後の方策が立てやすくなります。なぜならば、「困ったチャン」はずっと「困ったチャン」でい続けるわけではなく、結果的にそうなってしまったのだからです。「困ったチャン」に、話し合いの起爆剤として活躍の場を与えてあげたり、「困ったチャン脳」の優れたところを生かしてもらえれば、かえってメンバーに気づきを与えるケースが生まれるはずです。  そのうえで、メンバーの中に「自分ならこうできる、こうしたい」という前向き解決論者や、「こういうやり方もある、こうしたらどうか」という合意形成論者、課題解決方法論者、はたまた「こういう風にみんなで一緒にできないか」という関係性主義者、社会関係資本家、関係性ヒューリスティックス構築者を探し出し、働きかけ、育てていくことに力を注ぎましょう。  これらの方々は仲間と力を合わせることを重要視する、生成的言説(またまた難しい表現ですが)を持つ方々なのですから。