第16回 公共の現場では(応用問題その四)事務局

 お上からの一方的なサービス提供だけでは住民ニーズに対応できなくなってきている領域が重要視され、構成員がお互いに補完しあう関係の経営体。とりわけ人と人がふれあいながら進めていくヒューマンインターフェイス領域のサービスを重視する経営体。そこでは当然、アソシエーションによる活動も、その中心を担います。  地域経営は、官民協働による地域の活性化と再生という、本当の意味での住民満足に結びつくということになることが基本となります。  たとえばイギリスでは、公共事業の民間開放や市場化・競争原理の導入という「サッチャリズム」の行き過ぎ感から、ブレア政権は「第三の道」を標榜しました。ブレア首相は、民間委託等によって行政事業のスリム化を進めながらも、「共通の目的を持ち、価値を共有し、そして誰一人として排除されることのない」社会を作る、と公言したのです。これが第三の道における自由・平等の基本思想です。そのうえで地域コミュニティやアソシエーションという中間団体の活動を経営主体の一角、ならびにセーフティネットととらえ、官と民、公と私が補完する。ボランタリー経済をも組み込んだ「社会経済」という仕組みをつくろうとしています。  これは、富、もしくは価値や意味、の創造と再分配による、住民満足の実現をめざした「官民協働」の思想として理解することができます。これが、今のイギリスの「公共」です。 ●地域で公共の場で必要とされる社会関係資本   そういう公共の現場では、社会関係資本は、その特質を活かして「資本」としての役割を果たしていくことでしょう。では日本はどうか。   イギリスではパリティ(イギリス国協会の教区を中心にした地域組織)というものが、地域コミュニティとして機能しています。ドイツでは地域評議会が、地域の自治組織として権限と責任を持ちながら活動しています。では日本はどうか。  私たちは一人ひとりが、毎日アリさんのように資本を蓄積している「社会関係資本家」であり、その意味で「地域ファシリテーター」でもあろうとしているはずです。これから新しく、日本ならではの「新しい公共」を作っていくこともできます。社会関係資本家として、人と人とのきづなによる地域内の信頼感を高め、また、他人や地域のために何か役立つことをしているといずれはそれが返ってくるという互酬性に基づいた参画意識を高め、それによって自分たちのルール(規範)づくりをする。それが今かもしれません。 ●地域をコモンズ(共有地)ととらえてみる   さてでは、これからの「新しい公共」を考えるために、「コモンズ」という考え方を持ち出してみましょう。  もともとコモンズは、村の入会地のように、構成員共同で使っていく財産として捉えられます。そういう意味では、コモンズとは「地域コミュニティの共的管理(共治もしくは自治)による、地域空間とその利用関係」と表現できます。コモンズの資源の利用は特定のコミュニティによって管理され、私有でもないし、政府(地域政府含む)の公的所有でもありません。資源の利用についてはメンバーの合意によるルール・規範が存在するということなのです。地域の水・森林・漁場といった「自然環境」、それから道路・港湾・公共施設といった「地域社会インフラ」そして、労働力・サービスなどの「社会制度」などのことです。  最近では、コモンズをもう少し大きい定義で考えるようになりました。たとえば、経済学で言われている「パブリック・グッズ(公共財=善)」の考え方で言えば、コミュニケーション・ネットワーク、地域金融、地域文化、地域医療・福祉、NPO・協働組合、なども含まれてきます。だれでも出入りでき利用できるものなら、ハードもソフトもサービスもコモンズです。これらを、コモンズとして効率的に、効果的に、公平に、そして持続可能的に活用していくことができるかどうか、資源としての有効活用ができるかどうかが、地域力の差となって現れてくるのです。  以前ちらっと触れた「コモンズの悲劇」という社会的ジレンマがありましたね。 これは、構成員がコモンズの資源をともに活用する際に、利己的に自分の利益だけを優先して消費してしまう人がでてきたり、負担をせずに分け前だけもっていくタダ乗りをする人がでてきて、結果コモンズの資源がそういう「困ったチャン」によって枯渇してしまうという現象をジレンマとして表現したものでした。 ●共有地は共有知   ことばを整理してみます。   公(パブリッック)は、公的財政や住民の税金等を元手として提供される、財やサービスです。官(オフィシャル)は、それを委託されておこなうもの。 私(プライベート)は、貨幣を媒介とする財やサービスで、市場原理による統制・制御が働きます。民は、いまの日本では、民間企業、私人、住民を意味します。  では共(コモン)はどうでしょうか。共は、相互扶助・交換・分配などによって生み出され提供される財やサービスです。いいかえれば共有とは、信頼・互酬・規範によって相互扶助的社会関係が生み出す資本、であるということができるようです。公と私、官と民が出会い、協働して活動する場所が共有地としてのコモンズとなります。共産主義とはちと違いますね。  共有地は共有知です。おっとまた、言い切り言葉が出ました。 新しい共有地では、新しい価値と新しいルールを生み出しながら、事業を進めていかなければなりません。つまり共有地では、そこで蓄積されるべき富や資本こそが「共有知」であるところの社会関係資本だ、と私は主張したい(きっぱり)!  共有地/コモンズでは市場原理は働きません。持っている私有の財やサービス、知恵を持ち寄り、構成員みんなで作り上げていく場所です。そこで生まれた成果物は、みんなで使う。ただしルールは作り守る。このように開かれたハード・ソフト・サービスのシステムが現代のコモンズです。そのはずです。いや、そうでければいけません。 ●現代コモンズの例として  よく引き合いに出されるのが、ビジネスの世界ではすでに伝説となっている、OSのリナックス。これは、もともとの基本設計者が、どうぞだれでも参加して設計を手伝ってね、どうか自分たちで役割と責任を決めて分担してね。その成果としてのOSソフトは、だれが使ってもいいことにするよ、という考えで始まりました。  これは今の文脈でいえば、パブリック・グッズ(公共財=善)=コモンズを作り上げることではないでしょうか。結果として信頼・互酬・規範が実現し、出入り自由な空間が出現しているのですから、リナックス・モデルとは現代コモンズ・モデルのひとつと捉えます。  自らの製作物の二次使用について許可することにより、他人との協働作業や共有を前提に公開される「クリエイティブ・コモンズ」という考えかたがあることも、ご紹介しておきましょう。これは実になんとも、社会的ナレッジマネジメントといわざるをえない。とくにインターネット空間の中などでは、大学や企業の研究者も、公務員も住民も、メーカーの営業マンも顧客も、区別できませんもの。  グローバルビジネスの世界では、こういうことが現に行なわれている。同じことは、地域社会でも行なわれていく。コミュニティビジネスにおいて、あるいは産官学の連携事業において、または地域NPOまちづくり会社の活動のなかで、すこしずつ独自の「リナックス・モデル(ミクロ版)」が芽生えています。あちらこちらで共有知の蓄積が起っている。  こんなところにも、社会的ジレンマをいかに解消していくか、という大きい問題に対するひとつのヒントがあるように感じます。コモンズでの共有知生産、相互発信、創発、そのためのアソシエーション、そのための生成的言説、そのためのファシリテーション、です。  <参考文献> 「ソーシャル・キャピタル」宮川公男・大守隆 東洋経済新報社 「第三の道その批判」アンソニー・ギデンズ 晃洋書房 「社会的共通資本」宇沢弘文・茂木愛一郎編 東京大学出版会