第17回 コモンズにアクセス!(公共の現場では つづき)事務局

 そしてコモンズとは、共的管理によって「だれでも自由に参入し、使える資源」というものだとし、ハードやソフト、そしてサービスやシステムまで含めて考えてきてみました。現代におけるコモンズを、かつての入会地や共有地のように固定的財産のようにとらえていけるわけではありません。ドンドン拡大し変化していくものです。  つまり現代におけるコモンズとは、一般的信頼や互酬性の息づく「市場(いちば)」と考えることで、その可能性が広がります。自由参入。利己主義も功利主義も通じない場所。相互主義。社会関係資本が生起する場所。社会的なジレンマが、その性格が明らかになることによって解消されやすくなる場所です。自律性ある構成員が、自分たちで自分たちをつくりあげていくという意味での、自己組織系のコミュニティと資源、それが現代コモンズです。 ●コモンズでの三位一体  たとえばどうでしょう、企業における社会責任(CSR)やフェアトレードの活動と、市民による社会投資責任(SRI)と、NPOなどの第三者評価機関によるその実施や監視、その三者が組み合わさった「市場(いちば)」などは、企業活動が社会公共的に、つまり自由参入と協働と創発で、つまりコモンズの領域で行なわれているといえないでしょうか。  たとえばある市が、用途限定の「ミニ市場公募債」を発行し市民に購入してもらい、その資金を元手にして、市民を顧客としたコミュニティビジネスがまちづくり会社によって行われ、利益を配当する。その利益がまた地域に還元される。地域資源の有効活用が、市の経営体としての体質を強め信頼を高め、地域活性化にともなって市民の満足度が上がっていく。地域コモンズの発生といえないでしょうか。  たとえばアメリカでは、NPOが古ホテルを買収し、ホームレスの方々の居住と再就職を支援し、そのテナントに社会責任を重視する企業がテナントを出店してその方々の雇用をし、市がトータルな助成をする。このように、公共福祉事業が協働で行なわれるという場。三つのセクターの共同事業が、ホームレスの社会復帰支援という「公共サービス」を担っている、福祉現場のコモンズといえないでしょうか。  たとえば川の美化・浄化ではNPOが主体となり、ボランティアでゴミ拾いや手作りの整備をする。近隣で湧き水を有する工場がきれいな水を供給する。ここに上流の林業組合が植林・間伐材整備で、また河口の漁業組合が稚魚の放流で協力。大学は生態調査をする。そこに県と市が環境・経済施策として乗り、「河川特別区」と「川の駅」を作った。資源としてのそしてコモンズとしての地域河川が形作られていきます。  現代コモンズにおける協働の「三位一体」とはこういう現場です。ここでは構成員間の一般的信頼や互酬性が、事業をつうじて息づいている。どのようにそのサービスが提供されるべきか、あるいは、関わるメンバーがどのようにそのサービスに自主的に関与するか、協働のルールは何か、そして、そのサービスはどういうものであったら成功していると評価されるか、などが透明になっていく。民間企業のガバナンス(統治)と公的機関やアソシエーションのガバナンス(開かれた経営)が合体する道すじの「見える化」こそが、現代のクリエイティブ・コモンズの特徴でしょう。  それが、企業の社会的信頼も高め業績を上げ、公共サービスの質を高め、安全・安心・快適というその地域の価値が上がり、アソシエーションのビジネス化(採算性と持続性)がはかられ、使える資源が増大することにつながるとしたら、こんなにすばらしいことはありません。   本コラムの最初に述べた「社会関係資本が、他の金融資本や人的資本にいい影響を与え、経済活動や文化にいい刺激を与える」とは、ひとつには、このような地域経営体の経済活動を思い描いていただいてもいいのではないかと思います。 ●ファシリテーションは、コモンズにアクセスする通行手形  このときファシリテーションを、コモンズ内における協働やパートナーシップを担保するものであり、自由にコモンズにアクセスする手立てであり、公共性を担保するものと考えることができる。それはファシリテーションが、コモンズや公共を形成し維持し活用していくときの「価値交換の促進装置」であり、「話し合いの品質保証」であり、「信頼のお作法」であり、「方便」であり、「心の性質」であるからです。  だから、真の公共性やコモンズ内の公平さを確保していくために、ファシリテーションをコモンズにアクセスするための通行手形と考えて、つねに携帯していると便利なわけです。つまり、公共財=善としてのコモンズを、ファシリテーションによって、排除される人のないように、誰にでも開かれているように、新しいものが創造される空間になるように、そして生まれた価値がドンドン交換される場所になるようにしていく。  逆に懸念される例をあげるすると、これから進められようとしている行政事業の市場化テストというものがあります。簡単に言えば「官から民へ」の政策の中で、民で行なえる事業は民にまかし、そこで競争原理によって事業の効率化を図るテストを行なっていこうというものです。市場性というナマ臭い話で恐縮ですが、予想される規模が10兆円とも20兆円ともいわれている、いわば事業拡大を狙う民間企業にとってはおいしそうな市場です。  ただ、現段階の議論のなかからは、行政事業の市場化テストが、単なる民間委託やアウトソーシング以上のものだという声があまり聞こえてきません。競争原理による「市場化」だけではなく、コモンズ原理による「市場(いちば)化」が可能かどうか、それを検証しテストし、確かめていかなければならないと思うのにもかかわらずです。それが、今の日本の「公共」の現実です。  市場化テストとは本来、「公(公平・平等原理に基づく公共事業)の市場化」、であり、「私(市場原理に基づく民間営利事業)の社会化である」とも定義できます。そしてそこに「共(ボランタリー原理に基づくアソシエーション事業)のビジネス化(採算性と持続性)」が加わり、おお、これこそがトリニティ、聖なる三位一体の完成なる。単に、官の仕事の競争原理による効率化、ではないはずなのです。  「公の市場化」と「私の社会化」と「共のビジネス化」という三つが出会い、融合するところ、それが公共のコモンズ(としての共有地)と捉えることができるのではないでしょうか。(ちなみに足立区ではこれを、「高度協働化」と表現しています)逆にそうでない場所では、お金という資本や、契約や法律は有効だけれども、社会関係資本やファシリテーションの出番がないとなるのではないかと懸念するのです。それは、公有・私有・共有の分別意識が、金融資本主義とその市場原理・効用原理だけを行動原理にすえた単なる「自分たちの縄張り」の主張であったり、「結束型コミュニティ」の再生産であったりして、全然クリエイティブでない、ダサい市場(いちば)になってしまいかねないからです。  ここはひとつ気をつけなければ。 <参考文献> 「新しい公共空間をつくる」坪郷實編 日本評論社 「社会的共通資本」宇沢弘文・茂木愛一郎編 東京大学出版会 「市場化テスト等推進戦略」(検討素材)足立区平成17年11月