第20回 ビジネス現場の「公共性」事務局

 役職が重視され「ある時は『公』、デスクでは官』、そしてある時は『私』、会議では『私』だったり『公』だったり、しかしてその実体は・・・分からない!」、となる日本の組織においてではなく、思いを共有したコミュニティで動くとき、「みんなで力を合わせて、ひとりではできないことをする」ということは、いわば公共としての社内コモンズにおける協働作業になるのだと思うのです。自分の利得や他人への奉仕という「自分対他人」という図式の意識はあまり働きません。「自分と他人」なのです。それならば、組織内外の関係者やステークホルダーとの協働も同じように考えていくことができるのではないでしょうか。 ●資本主義と社会関係資本主義  これまで話題にしていた市場原理をはずして考えると、企業資本主義とは「まだ実現しない利潤のために資本を募る」という行為から始まります。テッサ・モーリス-スズキさんによれば、「資本を集める原動力とは、未来を売ることにある」としています。  公共としてのコモンズでは社会関係資本がモノをいう、という話をしておりますので、ここでは当然、「社会関係資本主義の原理とは、まだ実現しない利得や効用のために社会関係資本を募る」のであり、「社会関係資本を集める原動力とは、チームやコミュニティの構成員に未来を売ることにある」といえるのかもしれません。  これが言葉あそびにならないように、「学習する組織」と「マーケティング」で、少しだけ見てみましょうか。すなわち、これまで述べてきたような、社会関係資本の観点から見たファシリテーションという考えが、社内の組織開発や、売り上げや新商品開発や顧客開拓の成果を問われるビジネスの世界で、有益に使うことができるのかどうか。リアルな実感として未来を売ることができるのかどうか。一般的信頼とか互酬性とか規範が、役立つことになるのかどうか。 ●社内の、学習する組織ではどうか  ピーター・センゲさんのいう「学習する組織」では、5つの学習領域として「システム思考」「自己実現」「メンタルモデルの克服」「共有ビジョンの構築」「チーム学習」があげられていることをご存じの方は多いでしょう。私が感じている、この5つの学習領域を実現する場の要件はとても単純なこと、次の二点です。  それが「生成的組織」かどうか。そこでは自分の身の安全が保証され、自由な意見が出せる。そこでは他人を変えることに関心を持たず、自分が変わることを怖がらなくていい。そこでは生成的言説がたくさん発信される。そこでは見る人ではなく、やる人だけがいる。そしてそこでは、やることによって共に成長できる。だからこそ共感の場となる。  もうひとつが、その場が、社会関係という資本を集める場になっているかどうかです。なぜなら、残念ながら組織とはしょせん、歴史や風土といったいわばその組織固有の「認識パラダイム」や「フレーム」に沿った学習しかできない。新しい考えかたや発見の生まれる確率は、限りなく低い。それならば社会関係という資本を組織として集めることを考えたほうが、「知識を共有化する」「協働や創発を生む」「未来の夢を作る」という未来志向の価値基準が採用されやすくなるだろう、と考えるからです。  このふたつが社内におけるコミュニティであり、公共圏であり、コモンズです。この場、このプロセスにだれがどのように参加するのかによって、学習する組織の学習領域がおおきく異なってきます。そしてコモンズでは、学習成果のタダ乗りもできないのです。 ●マーケティングというビジネス現場では  マーケティングの世界もドンドン変わっています。  以前書きましたように、「市場が共創経験を生み出すためのフォーラム」であるならば、その現場でのふれあい的な体験や体感、ファンサイト、クチコミ、SNSなど、マスメディアではないメディアが企業マーケティングの主人公格に躍り上がってきます。  たとえば、ブランディングにおいても、「商品から体験へ」「機能から感覚へ」「サービスからリレーションシップへ」などという、社会関係資本の実践を意識していると思われる発想が非常に多くなってきたようです。  こちらの現場で必要とされるのは、たとえば次のような考え方だと思います。 ○お互いの持っている情報の公開性と透明性。それが、市場と現在の顧客との信頼(これは限定的信頼ですが)や、将来のお客様との信頼(これは一般的信頼です)を高める ○「フォーラム」の中で企業はその存続と発展のための社会的価値を高め、顧客は自分たちが快適に生きるための生活の質を高めるという、お互いのリアルな共生実感を作っていく ○それらの基盤に立って、社会的責任つまり、社会のルールや環境への配慮や、社会的弱者への配慮などというフォーラム内の規範、つまり新しい意味・価値を作っていくという共通認識が強まる。これはコモンズとしてのフォーラム市場、すなわち協働の関係です。  結局いまのように分散化が進むビジネス現場では、市場原理が一番顕著にはたらくと思える商品価格やマーケティング、そして会社の値段を決める株式市場の世界でも、公共やコモンズが戦略の基本となるケースが増えてくるのだろうと予想します。ここに、「未来を売る」という意味での社会関係資本の集め方が、方法論として有効になってくるのでしょう。 ●社内・社外にコモンズを  社内の会議や顧客との企画会議などを公共的なコモンズとみるという考え方には、なじんでいただきにくいかもしれません。しかし、「学習する組織」を基本にすえた、社内の新しい公共圏としての「社内コモンズ」が現にある。一方では、顧客や社会を巻き込んだ新しい「市場フォーラム」としての「社外コモンズ」がある。そしてそこで協働事業をすることができる。こういう言い方ができるのであれば「社内外のコミュニティ、イコール、企業のクリエイティブ・コモンズ」という言い方も、あながち不可能で不適切なことではないような気がしています。 そこでこそ、「何も言わないヒト」が、発言できるようになる。ファシリテートされてもいいかな、と思うようになる。無関心だった社員も関与する割合が増える。部長が権威づくで威張れなくなる。いままでなにを考えているか読めなかった顧客や、発言のなかったお客様が、主体的に何かを言い始める。そして、発言することによって傷つくリスクをも負うようになる。それをみんなが認め、ケアしエンパワーすることができる。市場原理中心の成果主義評価をするビジネス現場に、公共的な生成的言説が持ち込まれる。事業の実績や人の能力に対する評価基準が変わる。そして見るとやる、されるとする、の違いが目に見えるようになる。観客が減り、プレーヤーが増える。  どのような現場にいても、日本型「見る」社会から、スウェーデン型「する」社会への変化を、私たちはしていきたし感じてもいたいと願います。ファシリテーションは、私たちが社会(生成的な意味でのコミュニティ)の構成員として、特にヒューマンインターフェイス領域でのサービスや、エンパワメント・ケアなどの拡大再生産に参加していくのに有効だ、と述べてきました。そしてそれは、もしかしたら「民主主義」にも有効か・・・ <参考文献> ピーター・センゲ『最強組織の法則』(徳間書店) テッサ・モーリス-スズキ『自由を耐え忍ぶ』(岩波書店)