第22回 ファシリテーション「七つの習慣」(上)事務局

 逆に言うとこういう行為が、当事者本人がその行為を主体的に選択した意味創成的(生成的)なものであるいうことができるのだそうです。こういう行為が生まれる場所こそを、チーム・セレンディピティが生まれやすいクリエイティブ・コモンズ、もしくは生成的公共空間という言葉で表わすことができるのかもしれません。  そんなことを考えながら、「社会関係資本からみたファシリテーションの七つの習慣」を、まとめてみました。まずはファシリテートされる側やメンバーの当事者意識をポイントにした「七つの習慣」。 ファシリテートされる側の「七つの習慣」 第一の習慣:自分だけの安全世界から出て行く  話し合いやチームの構成員の、いわばこころの習慣や立ち位置というものを一番のポイントとして考えるところからはじめます。それをどう形づくっていくかがファシリタティブな場(安心・安全・快適でだれにも開かれた場)づくりにとって欠かせないものだと痛感しているからです。 大きくいえばファシリテーションは、対話と会話によって新しい価値を探すというすばらしい目的をもっているはずです。それに参加するためには、自分を開いて顕わにし、「見る」から「する」に変わり、自分が傷つき変化することを良しとする姿勢以外にはありません。それが自分の「ガバナンス(自分自身の開かれた統治)」につながるのでしょう。 第二の習慣:前向きな言葉や表現をたくさん用意しておく  私たちの行なう行為は、すべて言葉とメタファーによって作り出されている。これが社会構成主義という考え方の一部でした。私たちは物事を把握し理解するときも「比喩」をつかう。それは、あるできごとに名前や記述を与え言語化することである。当然の話ですね。すべてはそこから始まっています。個人も組織は、普通に生活行為をするときでも、重い腰を上げてドラスティックな変革をするときでも、ことばやメタファーによって動かされ、またことばやメタファーによってその行為が定義されていきます。つまり私たちは、言葉やメタファーを使って現実を評価し、結果としての現実から評価されているのです。 したがって保守的な組織を動かすためには、より多くの新しい言葉や新しいメタファー(という生成的言説)が必要となることを何回でも強調したいと思います。人と人の対話や会話を通して意味が生成することを重視する。そのためには前向きで未来志向の言葉をいつでも使っていかなければなりません。今釣り上げたばかりの魚のようにピチピチした新鮮な言葉とか、他の人になるほどといわせるメタファーとか、過去の教訓と未来の夢が一緒にあるような物語などをふんだんに用意しておきましょう。 第三の習慣:目の前の人だけでなく、遠くの人にむけても会話をする  ところで話し合いの中では、ついつい目の前の人に意識が集中してしまいます。それは一対一の対話でもグループの中の会話でも、とりわけ傾聴の場面でも当然のことなのです。しかし、言葉を発するときの意識の中に、ここにはいない人や遠くにいる人も会話の相手にしていくことはできないでしょうか。目の前の人の、その奥にはもっとたくさんの人たちが聞いていて、いつか必ず言葉を受け止めてくれる。人のうしろには必ず多元的で多様な世界とそこに暮らす人たちがいる。仮に、前向きな言葉が目の前の人を素通りしてしまうことがあったとしても、その先に向かっても言葉を発していく。そのような気持ちを持っていることが、より一層対話と会話の内容を深める手立てとなると思います。 これを良寛さんは「愛語」と名づけました(少し強引ですが)。 第四の習慣:自分の持つ資本をコモンズに持ち寄る  理想のコモンズにおいては、自分の利得を考える利己主義と他者の利得を主にする利他主義とが出会い、ジレンマの発生が防止されることで信頼のネットワークがつくられて行くことでしょう。話し合いに加わるメンバーもこのことを理解するならば、自分の持っている一番いい資本や資源――それは言葉であったり、物理的なモノであったり、時間であったりしますが――を場に持ち寄る動機付けができたことになります。コモンズは最初からできているものではありません。みんなで石積みをするように作っていく過程です。 第五の習慣:考える枠組み(フレーム)を変え、広げる用意を怠らない  ヒトの脳の、概念フレームワーク理解は難しいし、それを変更するのも骨がおれます。  リチャード・ノーガードさん(「ガードなし」いい名前ですね)の言葉を借りれば、一人ひとりが「意味の多元性を生み出すような探求をすること」をこころがけるべきであり、その多元主義の考え方では、意思決定にかかわるヒトはみな、 �自らの持っている概念フレームワークに意識的であるべき �他人が使うフレームワークの長所・短所に意識的であるべき �他人が自分と異なるフレームワークを使用するのに寛容であるべき としています。この三点は、話し合いに臨む「こころの習慣」を変えなければならないときには、とくに指針になることだと感じます。自分だけの安全世界から出るために、少なくとも自分の考える枠組みについて意識的になり、変え、広げていくことに敏感になっていきたいものです。 第六の習慣:発明・発見への準備をしておく、創造的であることを選ぶ  チーム・セレンディピティの発揮もしくはその発揮のための準備は、前向きな言葉・コモンズ参加・フレームワークの自覚と同様に、「私」「私たち」「仲間」というものの拡張につながることでしょう。多くの出会いの機会を持つこともセレンティピティ発揮の要因のひとつですし、現場での行動量がふえることもそうです。また一方、経験知としてのヒューリスティクスと論理科学としてのアルゴリズムの、場面による使い分けもそのひとつです。こうした要因と「私」の広がりが共に手をたずさえて、私たちは意識して創造的であることを選ぶようになるのだと考えます。「双発・相発・創発とその準備」、それをめざす。 第七の習慣:身の回りの小さな物語から大きな物語へとつなげていく  このようにして、使う言葉やメタファーや物語の主語を、「私」から「私たち」に換えていくことができます。 自分で判断して行動していると思っている行為、自分が作っていると思っている言葉や考え方も、その実いかに他の人と共に作り出していることが多いことでしょうか。逆に、なにかのおりに、私たちみんなで協働により作り出せた言葉や考え方が、あっという間に遠くまで広がっていくことのなんと多いことでしょう。 小さなメタファーや小さな物語が、いつの間にか「新しい価値」や「新しい意味」を運ぶ船となって、人と人をつないでいます。そうであれば、自分の身近な場所の小さい物語から、公共・経済・社会・国際という大きな場所の物語へと続く道が必ずあるはずです。 <参考文献> 「こころの習慣」ロバート・ベラー みすず書房 「裏切られた発展」リチャード・ノーガード 剄草書房 「七つの習慣」スティーブン・コヴィー キングベアー社