2022年8月6日10:00~14:00
西宮市民会館 401号室
映画こどもかいぎ鑑賞会&対話会
Pテーマ
ぴーちゃん、やぶちゃん、あり
映画「こどもかいぎ」を見てみたい、興味がある方。 こどもかいぎって何?から 対話のそもそもについて話してみたい方。
<映画鑑賞> テアトル梅田にて映画「こどもかいぎ」をそれぞれ鑑賞 <お食事&対話会> お昼を兼ねて、映画の感想を語り合う会。 ・率直にみ終わっての感想 ・自分がこども時代、映画の中のキャラに例えるとどの子? ・印象に残った場面 ・こどもの対話について ・映画に出ていたFについて ・FAJでこの映画に絡めてどんなことができるか
企画運営3名+参加者7名(うち一人5歳のお子さん)
・とにかく子供たちのエネルギーに圧倒された ・親の気持ちになって見てしまった。 ・映画としてリリースするまでの苦労を想像(この時代において保護者の許可を得るのが大変だったのでは?) ・1年間のドキュメンタリー、子供の成長が見てとれた。 ・子供の限界を大人が決めてしまうことが多い(大人が手出ししてしまう)が、子供の可能性を信じて待つこと、任せることも大事と気づく ・こどもから学ぶことがあった ・大人(幼稚園の先生)のFとしての成長も垣間見れた。(Fとして必要なエッセンスが客観視できる byあり) ・大人側のFの忍耐力がすごい ・カッキー(こどもかいぎ)のファシリテーターのどっしり感、場のホールド感がすごい。 ・こどもかいぎを見た後、対話について話す場 対話会をしていきたい。 → 全国・オンライン ・監督やカッキーを招いて、こどもかいぎ について講演してもらう その後、実際におとなかいぎ するのも面白い ・様々な年代のかいぎを一堂に介してやる。混合、子供におとな会議をFってもらっても面白いかも ・哲学対話みたいなもの? ・子供会議、対話をしている他団体とのコラボ ・こどもかいぎ別Ver Youtubeで、鑑賞会第2弾をしても面白いかも
映画は子供の対話を通して、対話をすることがどんなことなのか改めて問い直すきっかけとなった。 子供の対話なので、もちろん言語能力は未発達。 それでも自分の思いを伝えようと奮闘する様子、聴こうとする、理解しようとする様子に、対話の大事なことは根本的には変わらないのだと気付かされた。 むしろ、子供たちが純粋なだけに、技術を差し置いて、「わかってほしい」「伝えたい」「なんでわかってくれないの?」「何て言ってるの?」「どうしてそう思うの」という際立った感情に対話の根本って、この気持ちなんだなと改めて気がつき、胸打たれた。 我々大人は この気持ちを持ち続けて おとなかいぎ(対話)してるだろうか? 映画の中に、喧嘩をした時、冷静になって相手と話し合うピーステーブルというものが出てくる。 子供だから100%言葉を通して分かり合えた訳ではない、それでも、同じ空間を共有することで、相手の思いを肌で感じることで、なんとなく相手の感情を理解する。 不思議な光景だったが、言葉以外の何かで通じ合う瞬間があること、そして自分の子供時代にも確かにあった感覚を懐かしく思いだした。 言葉なんか不要だと言いたい訳ではない。言葉は思いを伝える基本ツールだ。でもその言葉の裏や、間にある、行間、本音、空気から読み取れるものがあることを忘れてはいけない。 オンラインでのコミュニケーションが普及し、益々言葉中心になる現在。言葉は常に100%考えや気持ちを表現できるものではないことを肝に銘じ、この五感的なコミュニケーションも大事にしたいと思った。 我々大人は 全身全てで 相手を自分を感じ、受け止めて おとなかいぎ(対話)してるだろうか? 小さい頃から対話を経験すること、対話の場に慣れること、訓練しておくことは、とても重要なことだ。 私自身が今胸を張ってできると言えない「聴くこと」「伝えること」この基本姿勢を、子供の頃から訓練できていたらなと切に思う。 と同時に社会全体がこの基本姿勢を持てればなと思う。 FAJが今できること。 対話のプロ集団(たぶん)として、ファシリテーターの集まりとして、できることがあるのではと、胸が熱くなる。 SNSを通して世界つつながることができ、同じ意見の人と集うことができる反面、反対者の意見をシャットアウト、攻撃さえもできる世界になった。 よくも悪くもコミュニケーションの取り方が変わっていく中で、大切なことは何かを探究し続け、伝え、行動できる側でいたい。 この映画にはそのヒントがあるように思います。 Fサミット宣言 「対立と紛争が渦巻く社会の中で、言葉の力を信じて小さな変化を現場に灯し、未来を担う人々の希望と勇気を高めます」 今こそ と思います。