2023年2月スペシャル講座 第83回『ナラティヴ・アプローチのエッセンスに触れてみよう~ひとつのところに留まって"語り、語り直す"を体験する一日〜』秋田サロン

詳細

日 時: 2023年 2月 4日(土)10:30 ~16:00
場 所: story cat (秋田市南通り亀の町)
参加者: FAJ 会員 4人 一般 7人
話題提供者:ナビゲーター 飯島邦子さん(FAJ会員)

【プログラム】


1)オリエンテーション
・ナビゲーターにとってのファシリテーション~ナラティヴへの繋がり
・本日のゴールイメージ(OARR)共有

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2)ナラティヴって何だろう?
・ポストモダニズムからの影響
・社会構成主義からの影響
・マイケル・ホワイトの背景

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3)ナラティヴ・アプローチのエッセンスに触れる①『物語を通して理解する』
・ディスコース
・薄い記述と厚い記述

4)ナラティヴ・アプローチのエッセンスン触れる②『どのようにして物語を聴くか』
・人が問題なのではない、問題が問題なのだ
・そっとおく聴き方
・WHY質問
・認証するということ

5)小グループでナラティヴの会話を体験する
・4人一組で話し手、聴き手、聴衆に分かれ、話し手の話題を中心にした聴き手と話し手の会話と聴衆とのリフレクティングプロセスを交えた会話からナラティヴのエッセンスを体験
・体験の振り返り

6)クロージングメッセージ
・2つの島とボートのメタファから見る全体像
・ナビゲーターのニュージーランド体験からのファシリテーション的気づきのシェア

7)チェックアウト

参加者の声

・相手の話を詮索して予想したり期待したり心配したりするのではなく『そっとおく』という感覚が腑に落ちた
・薄いが客観的、厚いがナラティヴなら、両方ある記述ってあまりないので両方あったら良いのではないか。ナラティヴを邪魔する概念に責任という概念があるのでは・・・?
・聴衆が聴いてくれることで膨らましたり書き加えたりすることができる体験をした。人と繋がって語ることは自分の人生これでよかったと思うことに役に立つのではと思った
・オンラインで学び続けてきたが、リアルで学びが蘇ってきて理解が深まった。落とし込むかはこれから、深いなと感じた。
・目標にベクトルを合わせていくための交渉して説得して立場を固定させていかねばならないとき、抵抗がある、何か足りないかというのはまさに対話が足りない。仕事上の悩みや躓きが明確になった。こういう考え方を持っていればいいアプローチができると思うので活かしていきたい

・認証という言葉が印象的だった、言葉の裏にある背景が大事。その人の存在を認めるけど、やったことは良くないというときその人自身を認めなければ難しい。
・聴衆役をやったけれど何が大事なのかの会話からその周りがポコポコと出てきて語っていくうちに話し手が気づいて膨らんでいくことがわかった。子供の話を掘り下げて聴くときなど家庭内で活かせる気がした。
・話すって難しいが、大事だなと思った。普段人の困りごとを聴く仕事をしているが、自分のことを話すときはテンプレートのように決まっていてそれ以上を語ってこなかったが、自分のことを語るっていいんだ、と気づいた。自分自身が変わるきっかけになる出会いだった。
・定義付けられない、つかみきれないけれど、つかんじゃいけないというのが結論。ナラティヴっていうものを横に据えながら、こっちもあるよね、あっちもあるよねという入り口を学べた。

ナビゲーター kuniさんより

・定義付けをしていないナラティヴを今の自分が語ることができるだろうかというところから様々なことを考え、行きついた形が今回のプログラムです。ナラティヴに初めて触れるみなさんに対してファシリテーションという軸を置きながらどう伝えることができるか悩みながらの事前準備作業でしたが、簡単にわかった気にならないこと、テクニックではないこと、態度、姿勢の部分もみなさんに受け取ってもらえたのではないかと感じて嬉しく思います。私自身、この準備を通して今一度自分の理解をおさらいして、発見したことがたくさんありました。また、ナラティヴは奥深くて数時間で語りきることはできませんが、今回の内容から続く次のお話への展開もイメージが膨らんできて、いろいろとやりたいことが浮かび上がってきています。これもこのような機会をいただいたからこそだと感謝していますし、ここにみなさんが集まってくださったからこそ、この学びが生まれたのだと思っています。本当にありがとうございました。

*最後の分かち合いで話題に上がった『責任』について補足です
『ナラティヴ・プラクティス会話を続けよう』の第8章(p111~115)に『外在化と責任』で、マイケル・ホワイトは『責任とは概念である』と書いています。この章では暴力行為に深く関わってしまった青年の事例を通して彼が責任の概念を発達させていく過程が記述されています。
マイケルは、責任という言葉を知っているだけでは責任ある行動を行う基礎は得られておらず、責任を取るためにはその責任という言葉の概念を発達させていく必要がある、外在化する会話はその概念の発達の可能性を開く、と書いています。しかし、『それを可能にするのは外在化そのものではなく、外在化に続いて生まれるものの方だというのが肝心なところだ』とも書いています。つまり外在化すれば責任の概念が発達するわけではないということであり、この辺がナラティヴがテクニックではないということにもなるのですが、簡単に説明できるものではないので、詳しくはぜひ本を読んでみてください。

『ナラティヴ・プラクティス 会話を続けよう』
https://www.kongoshuppan.co.jp/book/b514682.html

企画者より

オンラインの読書会から一年越しで実現したリアル開催。
無事に楽しく開催できて本当に良かったです
参加してくださった皆さんはもちろん、ナビゲートしてくださったkuniさん
本当にありがとうございました。
今後もナラティヴの可能性を様々な場面で感じていきたいと思います。