第10回: 2004年12月4日 哲学ファシリテーションの世界へようこそ〜ソクラテイック・ダイアローグ〜九州支部

第10回九州地区研究会議事録

■日時: 2004年12月4日(土)13:00〜17:00
■場所: 九州心理カウンセリング学院
■テーマ: 「哲学ファシリテーションの世界へようこそ
               〜ソクラテイック・ダイアローグ〜」
■担当: ファシリテーター:堀江 剛さん(FAJ会員)
■参加者: 15人

○研究会の流れ

研究会では、まずファシリテーターの堀江が事前に用意した発表原稿を配布し「ソクラティク・ダイアローグ:SD」に関する発表と質疑応答を行った(1.00-3.00)。
その後、有志6名が堀江のファシリテーションのもとに、実際のSDの始めの部分を体験してもらった(3.00-4.30)。
残りの参加者はその模様を観察した。最後に、このSD体験と観察を踏まえ、全体で質疑応答を行った(4.30-5.00)。
以下の文書は、事前に用意した発表原稿に、発表のときの追加情報や質疑を加えたものである。
(追加情報および質疑の内容は青色で示してある)

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1. SDの歴史的背景
2. コンセプト/プロセス
3. ルールとファシリテーター
4. SDの活用について

SD (Socratic Dialogue) は、グループが共同で思考するためのワークショップの方法である。通常5-8人が一つのグループになり、一定のプロセスとルールに従い、SDの方法を熟知したファシリテーターのもとで、一つのテーマをめぐって非常にゆっくり(2-3日)かつ濃密な「対話」を行う。

1. 歴史的背景
発案者はドイツの哲学者レオナルト・ネルゾン(Leonard Nelson, 1882-1927)で、大学での哲学や数学の授業を工夫する中で考案されたゼミナールの仕方に由来する。その目的は、学生が既成の知識や権威に頼らず、自分たち自身の言葉と思考力で真理を見つけ出すことであった。そこで教師は、ただ学生の議論を促進・支援する役割に徹した。ネルソンはこの方法を、問答(Dialectic=Dialogue)だけで真理に到達しようとした哲学者ソクラテスの名前にちなんで、「ソクラテス的方法 Socratic Method」と名づけた。
戦後、ネルゾンの弟子で教育学の専門家となったグスタフ・ヘックマン(Gustav Heckmann, 1898-1996)は、この方法のプロセス(手続き)やルールを改善・整備し、小中学校・高校や市民教育での授業にも使えるようにした。
1970年代になって、それが「ソクラテス的方法による対話」(略して"Socratic Dialogue")として、ドイツやイギリスの学校教師や市民教育者の間に広がり、また政治的な支援(社会民主党)もあって、SDを継続しSDファシリテーターの資格を認可する組織*も設立された。

1990年代からは、何人かのオランダ人がドイツでSDを学び、組織を作り**、自国で実践しはじめる。オランダ人たちは、SDを教育の世界以外にも積極的に持ち込み、病院、公的機関、企業(ビジネス)、地域社会などにおける対話やファシリテーション教育のツールとして活用しはじめた。ドイツやイギリスなども、この傾向を追いつつある。1996年からは、ほぼ隔年で「SD国際会議」も開催されており、ヨーロッパ各国の他にオーストラリアや日本などからの参加もある(ただし主にドイツ・イギリス・オランダ)。

2. コンセプト/プロセス
このようにSDは現在では様々な領域で用いられているが、一般的なグループワーキングないしファシリテーションにはない独自のコンセプトを持っている。それはSDが(事柄を普遍的なかたちで思考するという意味での)"哲学"に由来しているからであろう。SDのコンセプトは、そのルールやファシリテーターの役割に体現されているが、ここでは一般的なグループワーキングとの違いに着目して、三点にまとめてみる。またこれは、SDの(おおよその)プロセスの説明にもなっている。

SDは、
・一つの「基本的な問い」をテーマとして設定する:例えば参加者に「レストランの経営者だとして、これこれの条件のもとで店を禁煙にするかどうか決める」といった仮定のテーマや、具体的な決定を想定するテーマを、SDは設定しない。そうではなく、例えば以下のようなテーマを設定する。これらは、仕事や専門性に限定されることなく、私たちが生活する上で(ほぼ)誰にでも関係するような「普遍的」ないし(誰の生活の基にも関係しているという意味で)「基本的 fundamental」なものを「問い question」の形で設定する。

【SDテーマの例】・他人を理解するとは?
          ・責任とは何か
          ・いつ私は「ノー」と言うか
          ・寛容の限界とは何か
          ・どのようにリスクを引き受けるか
          ・どのように学ぶか など

・常に参加者の「具体的な経験」に基づいて議論する:以上のようなテーマでそのまま議論をすると、もちろん抽象論の応酬、空中戦になってしまう。SDは、テーマの普遍性に対応して「素材の具体性」から離れないようにする工夫がなされている。SDでは、参加者の(日常的な)生活で経験した具体的な事実を「例 example」として出し合い、それらの中から一つを選んで詳述し、それをテーマについて議論するときのグループでの「土台」とする。議論が(過度に)抽象論に陥りそうな場合は、いつでもこの具体的な「土台」に帰って考えるよう(ファシリテーターが)配慮する。例えば「どのようにリスクを引き受けるか」というテーマで行われたSDでは、「私は恋人に早く会いたいがために車をとばし、スピード違反で取り締まられるリスクを引き受けた」という例が参加者から出され、選ばれ、それを土台にしてグループが「リスク」の問題について議論した。

・グループが共同で「原理を発見する」ことに努める:一回のSDが目指すものは、最初に設定された「基本的な問い」の「答え」に当たるものを、参加者が見つけることである。SDでは、選ばれた「例」に潜んでいる理由をグループで掘り下げ、一般的な原理の発見を(ファシリテーターが)促す。例えば上のスピード違反の例では、「人は自分の幸福(恋人との時間)のために、普段は引き受けないような(多少)大きなリスクをも引き受けるものだ」という一般的な(「人は?するものだ」という形で表現された)原理を発見した。もちろん、SDで常に明解な答えが出るわけでもないし、時間の制約もある。また発見された理由や原理は、たいていの場合、「なーんだ、当たり前のことじゃないか」的なものである。しかし、長く粘り強い対話と細かなコンセンサス形成作業を続けてきた参加者にとって、実はこのプロセス自体が大きな成果であり、たとえ明確な答えを見つけ出せなくても(個々の議論のステップがしっかり行われていれば)大きな満足を見いだす。

※砂時計モデル

以上のコンセプト/プロセスは、簡単に図式化すれば「一般から具体へ、具体から一般へ」という道筋をたどる。これはヨーロッパのSD関係者の間で「砂時計モデル」として説明される。
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\               /
  \            /
    \ 一般:普遍的・基本的な「テーマ」の設定
      \    /
        \/       
       具体:生活で経験した「例」の提示と探求
        /\
      /    \
    /  一般:一般的な「原理」の探求および発見
  /           \
/               \
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この図は、Jos Kessels 著 "Die Macht der Argumente: Die sokratischeMethode der Gesprachsfuhrung in der Unternehmenspraxis", BeltzVerlag, 2001, 205頁 を参考にし、それをさらに簡略化したものである。

この本はオランダ語で書かれていて、ドイツ語訳はあるが英訳はない。ドイツ語の表題を日本語にすれば『論拠づけの力:ビジネスにおけるファシリテーションのソクラテス的方法』とでもなるだろう。

問:本当に「砂時計モデル」のように上手くSDは進行するのか。

答:前半(砂時計の上半分)は、それほど問題なく進行するが、後半に関して多くのSDのファシリテータは「難しい」と言う。前半を丁寧にファシリテーションすればするほど、後半も充実したものになると言う。一般に、教育目的でSDを行うドイツ人たちは前半から後半まできっちりSDを行うが、ビジネスにSDを応用するオランダ人たちは、相当自由に後半をやる。SD関係者の間では、なんとなく、このような「ドイツ流」と「オランダ流」の違いがあると認識されている。

3. ルールとファシリテーター
SDでは十分納得のいく対話を実現するために、参加者に簡単なルール(約束ごと)を示すのが通例である。またそこには、SD独自のルールとして「メタ・ダイアローグ」というものがある。さらに、そうしたルールを説明し、SDを首尾よく進めていくためのファシリテーターがいる。

【ルール(参加者のための約束ごと)】
・本で読んだ知識や他人からの受け売りではなく、自分の考え・意見を簡潔に言葉にするこ と
・他の参加者が言葉にする考え・意見に耳を傾け、それを理解しようと努めること
・他の参加者の言葉に対して疑問点・不明な点があれば、それを流してしまわず、率直に表 明すること
・考え・意見の違いを認めると同時に、どのような合意点があるかを考え、合意に向けて努  力すること

【メタ・ダイアローグ】
対話が紛糾している・上手く噛み合っていない、対話をどのように進めていくかグループで考え直す必要があると感じたとき、参加者は一種の「タイム」を提案することができる。そこで、テーマに関連したもともとの対話から一旦離れて、その対話について対話する機会が設けられる。これをメタ・ダイアローグと呼ぶ。それは、

・参加者(時には進行役)の誰からでも、随時提案することができる
・参加者の誰か一人(たいていはSDの経験者)がファシリテーターを務める
・そこでの問題が解決するまで、テーマに関連したもともとの対話には戻らない

【ファシリテーターの役割】
SDのファシリテーターは、参加者の議論・対話が(スムーズにではなくとも)十分に行われるよう、次の点に配慮しなければならない。
・ルールを参加者に明確に提示し、甚だしい違反があれば指摘する
・テーマに即した参加者の対話の内容(コンテンツ)には関与しない
・参加者全員が議論にできるだけクリアに関われるよう配慮する
・参加者の「例」や重要な発言は、できるだけ明確な「文」にして書き出す

この他ファシリテーターは、参加者の個々の発言・やりとりの中で、言葉の曖昧さや食い違い、見過ごしなどに気を配り、それを議論の最中に指摘する。それは、議論の本来の在り方を示し参加者の曖昧さ・齟齬・見過ごしなどを正すのではなく、参加者にそれを確認させるだけである。重要なのは、議論を「指導する guide」のではなく、単に注意を促す、あるいは対話を「促進する facilitate」「支援する support」ことである。これによって、言葉の交換の問題が参加者に投げ返され、それをグループとして再処理するよう促される。

問:グループでの心理カウンセリングなどでは、参加者がテーマや気持ちを共有するために、最初に「シェアリング」の作業を行うが、SDではそれは全く行わないのか。

答:まったく行わない。ただし砂時計モデルの前半が、ある意味で「シェアリング」の作業になっている。SDでは参加者が「例」を出し合い、それらを互いに聴き、一つを選択する作業を、非常に丁寧に行う(二日間のSDではここに丸一にかける)。


問:SDは心理カウンセリングやエンカウンターグループワーキングなどとよく似ているように感じるが、SDの独自性はどこにあるのか。

答:基本的にSD(のファシリテータ)は、参加者の「心理」(感情、心の動き)よりも、できるだけ参加者の「発言」に着目してファシリテーションを進める。このように「心」ではなく「言葉」を重要視するのは、SDが哲学に由来するグループワーキングだからだろう。外見では心理カウンセリングなどと同じようでも(またファシリテーションの技法も同じようでも)、着目しているものが大きく異なる。

4. SDの活用について
もともとSDは、哲学や数学の(ある種の普遍的な)問題を共同で思考するために考案されたグループワーキングの方法である。それがビジネスを含めた様々な領域で使われるようになったのであるが、そこにはSDを単純に行うだけではなく、様々な用途に合わせて活用する道も模索されている。幾つかの活用例を、ここで紹介しておこう。

・市民を相手にした「対話教育」ないし「(民主的な)政治教育」
 (ドイツ・イギリス・デンマーク・スウェーデン)
・囚人の福利更正のために(ドイツ)
・小中学校・高等学校での「対話教育」ないし「対話による倫理教育」
 (ドイツ・イギリス)
・小中学校・高等学校での「対話による数学教育」として(ドイツ)
・大学での「対話教育」ないし「哲学教育」として
 (ドイツ、チェコ、ウクライナ)
・公的機関・企業での「組織決定(研修)」の"ツール"として(オランダ)
・公的機関・企業での「倫理問題を考える」の"ツール"として
 (オランダ・オーストラリア)
・医療・福祉機関での「対話教育(研修)」の"ツール"として
 (オランダ・ドイツ・日本)
・生命・医療倫理の問題の社会調査(研究)のために
 (ドイツ・オーストリア・スペイン・日本)

これらの中で、特にオランダで実践されているSDは、他の種類の議論・対話セッション(ディベートなど)や一対一のカウンセリング、コーチングなどと組み合わせて使われている***(だから"ツール"として、と書いた)。あるいは従来のSDを相当変形して活用している。

問:SDは何を「目的」として行われるのか。

答:現在ではSDそのものが「目的」をもっているとは言い難い(昔は共同的な「真理探究」が目的であったが)。むしろ様々な参加者によってSDをツールとして使用するのであり、それぞれのSDセッションに個別の目的が設定されるべきであろう。例えば「哲学教育」を目的とした(学校での)SD、「組織における共同決定」(の訓練)を目的とした(企業や組織での)SD、「社会学的調査」を目的としたSDなど。
 
最後に、一般的なグループワーキングやファシリテーションにおけるSDの長所・短所を枚挙しておこう。これらはSDが多くの領域で活用されることから知られるようになった事柄である。

・非常にきめ細やかな「合意のステップ」が実現される
・グループでの共同的な問題解決や意思決定の難しさ・大切さが実感できる
・自分の考えを「言葉にする」難しさ・大切さ、相手の言葉を「聴く」難しさ・大切さが実感でき る
・時間がかかりすぎる(ショートSDでさえ丸一日)、対話し続けるハードな忍耐力がいる
・参加者の具体的な経験を「例」として用いるので、公表しにくく評価が困難である
・テーマが一般的(普遍的)過ぎて、現実の問題や意思決定に結びつきにくい

この中で「テーマ一般的過ぎて云々」という問題は短所でもあるし、使い方によっては長所にもなりうる。つまり、職場や組織での現実の問題から「一旦距離を置いて」議論できる。また、専門領域や利害関心の異なる者同士が「平等に対話できる」機会となる。こうした点に、SDの使い道が開かれていると考えられる。

問:SDによって組織における共同的な決定をすること、問題を解決することは困難なのではないか。

答:そうだと思う。ただSDは問題解決型ではなく、いわば「問題発見型」の対話セッション・ファシリテーションの方法として有効であると思う。現実的な問題から「一旦距離を置く」ことで、問題の枠組み自体を見直すための対話や議論ができる。


*  ドイツ: Gesellschaft fur Sokratisches Philosophieren: GSP (Society
         of Socratic Facilitators)
    イギリス: Society for the Furtherance of Critical Philosophy: SFCP
**  オランダ: Dutch Network of Socratic Facilitators
*** 著名なオランダのファシリテーターであるヨース・ケッセルス
   (Jos Kessels)の設立したスクール(コンサルティング会社?)
   "The New Trivium"(「新自由三科」)を参照。
   http://www.hetnieuwetrivium.nl/uk/index.html ここでSDの説明なども
   されている。

ファシリテーターの堀江さん ソクラティックダイアログ体験中