2008年度04月定例会 2.生活の中でのファシリテーションを考える〜自分らしく生きるための選択〜東京支部

東京支部4月定例会第二テーマ「生活の中でのファシリテーションを考える〜自分らしく生きるための選択〜」




1. 日時:2008年4月26日(土)13:00〜17:00
2. 場所:文京区 区民センター 2−D会議室(和室)

3. 企画・運営メンバー:浦山絵里、佐藤麻美子、山内のり子、宮川幸恵

4. ファシリテーター:浦山絵里
5. 話題提供者: 岡部大祐さん、岩本ゆりさん

6. プログラム概要:
? 今回のテーマのきっかけ
? 参加者自己紹介
? 話題提供1(岡部さん)
? 話題提供2(岩本さん)
? 話題について個人で熟考
? グループダイアログ
? 全体共有
? 再度、グループダイアログ
? 全体共有


7. 内容(お茶、お菓子を食べながら、ゆったりとくつろいだ雰囲気の中で行う)

? 今回のテーマのきっかけとルール(ファシリテーター)
テーマのきっかけ
ファシリテーションを、会社組織や街づくり、教育以外にも、もっと生活の中で使う場面はないのだろうか疑問から、今回の定例会を企画した。
看護師という仕事の中には、診療の保助業務と療養上の世話という領域がある。看護の中でのファシリテーションの活用には、医療チーム内でのコミュニケーションツールとしてはもちろんだが、同時に患者や家族の生活(くらし)を支援するファシリテーターとしての役割があると考える。
この定例会では、医療コーディネーターとして起業している岩本ゆりさんと、がん患者支援活動をし、自らもがん患者である岡部大祐さんを話題提供者としてゲストに迎え、「くらしの中のファシリテーション」について、参加者に考えてもらう。
ルール
・ 話したい人が話す。
・ 話したくない時は話さない。
・ ここで話される内容には守秘義務がある。 


? 参加者自己紹介
A4用紙に、今日呼ばれたい名前と、今日ここに来た理由や期待していることを個人記入。
⇒ 全体発表


? 話題提供1(岡部大祐さん)
岡部さん自己紹介
青山学院大学大学院国際政治経済学研究科国際コミュニケーション専攻博士後期課程在学。研究領域は、医療社会言語学、(異文化間)ヘルス・コミュニケーション。2005年5月に縦隔腫瘍(じゅうかくしゅよう)の告知を受け、約4ヶ月間の抗がん剤治療を受ける。現在は定期検査をしながら経過を観察中。がんに関わる人たちを支援するイベントである、"Relay for Life"(リレー・フォー・ライフ)や、模擬患者(SP)として医学教育などに関わる。

医療における「コミュニケーションの問題」
ひとことに「医療とコミュニケーション」といっても、その実態はさまざまである。すべてを網羅することはできないが、ここでは4つの例について考えてみる。
 「専門用語」「医学的知識を前提とした」コミュニケーションでは、患者が医療者の話すことを問題なく理解することは難しい。
 がん告知などの心理的衝撃の大きいものによって、患者は動揺してその後の情報処理が十分にできず、治療を理解しないまま望まぬ治療を行うことになることもある。
 医療者の態度、言い回しなどの非言語的な要因により、患者は侮辱的、威圧的に感じてしまうこともある。相互の信頼関係が築けず、医療訴訟などにもつながる。
 経験科学である医学の世界観はある程度の「答え」を想定するが、患者の経験は必ずしもそうではなく、「医療」に求めるものが多様化している。患者の経験、求めるものはバラバラで、多様で、つねに変化するものである。「医療」と「医学」は同義的に使われることの多いことばであるが、必ずしも両者が同じではなく、前者のほうがより包括的。この世界観の違いを参加者(医療者、患者、第三者)が認識することなしにコミュニケーションを行うと不毛な結果になることがある。

近年の病気に関する傾向
 疾病構造の変化:急性疾患・感染症から治癒の難しい生活習慣病など慢性疾患へ。長期的な医療者との関係性の重要性が高まる。医療が臨床のみならず生活まで射程を広げている。
 社会状況と関係者の力関係の変化:インターネットの普及や医療の透明性(カルテ開示など)への認識が高まり、医療者と患者の関係は一方的なパターナリズムから変化しつつある。ただし、完全に対等はありえない。

患者になって感じたこと、第三者として間に入る際に大切な考え方
人々が世界を理解する方法はひとつではない。誤解を恐れずに大きく分ければ、一方に、「世界には『真理』や『法則』が存在すると前提し、その発見を経験的データによって裏付けることを目指す」考え方があり、他方、「万人に当てはまる唯一の『真実』の存在を前提とせず、現実はそこにあるのではなく、人々の相互作用によって構成され、多様な価値が存在する」考え方があるといえる。このような枠組みの中でそれぞれの立場を位置づけると、コミュニケーションの問題が見えやすくなる。
一般的に「医療」というと西洋医学を指し、それは前者に属するといえる。よって医療者、特に医師はこの考え方が強いと考えられる。患者側も前者の考え方を持つ人が多いが、病気になり、治癒が不可能であることを知るなどの経験から、唯一の「正解」を求めることをやめ、多様な現実を認め、病気と共に生きることを見出すことがある。このギャップが生まれたとき、両者のコミュニケーションはかみ合わなくなる。
また、西洋近代医学は医療の選択肢の1つであり、その他として少数ではあるが、宗教的なもの、民間療法、代替療法など様々な選択肢がある。また、治療をしないという選択もありうる。医療=西洋近代医学の考え方は、人間を機械のように考える傾向がある。論理的に考えることが間違っているわけではないが、医療者と患者の間に第三者として関わる人は、患者の経験、気持ちは必ずしも論理的に一貫したものではないということを認識することの大切さを理解する必要がある。経験はしばしば断片的、非直線的、動的である。

事例)ある糖尿病患者の話
足が腐って死ぬほど痛い。医師からは足を切断することを勧められるが、「両親からもらった体に傷をつけたくない」ので切断はしないと主張。「痛みがないほうがいいにきまっている」と一般には思われがちであるが、様々な価値観が存在し、その場その場で優先されるものは変わるもの。病気のとらえ方も人によって違う。治癒が望めない患者は「うまく折り合いをつけて」生きていく、というスタンスの人もいる。「生き切る」とは自分の意思で思いっきり生きること。「生きる」より「行き切る」のように、主体性をもって生きていく人たちがいることを認識する必要がある。
患者として、医師のビジネス的な対応を感じたこともある。手術の日程があるから早く決めろと迫られたが、国際的に一致したエビデンスはなく、医学的にも、心理的にも受け入れられなかった。治療について意見が分かれた結果、「自分のいいと思っている治療ではないことはできない」と言われ、その医師とは決別したが、そのことについて「コミュニケーションが失敗した」とは思わない。むしろ現代医学という同一の科学観にもとづき、コミュニケーションは成立した。「合意なき『合意』」もあるのではないか。

? 話題提供2(岩本ゆりさん)
岩本さん自己紹介
 楽患ナース株式会社という会社で、医療コーディネーターの仕事をしている。医療コーディネーターとは、患者さんが自分らしく納得のいく医療を選択するサポートをする仕事。
ここでは、医療を自分のこととしてとらえてほしい。もしも自分がその後の人生を左右するような病気になったら医療に何を期待するか自分の中で考えてほしい。
治療方針や医師の説明に納得していない人が53%もいる。なぜそんなにも多いのか。医療者が患者さんにしてあげたいと思うことと、患者がしてほしいと思うことに大きなギャップがある。
医療者として現場にいるときは、岩本さんもそのギャップは感じていたものの、何かはわからなかった。病院の外に出て患者さんの声を聞くようになって始めてそれが分かり、病院にフィードバックする必要性を感じてNPOを立ち上げた。

患者さんの思いには2つある 
1つは病気を治したい、良くなりたい、と。もう1つは自分らしい人生を送りたい、後悔しないで納得して生きていきたいという思い。
治療者は「治ればいいんでしょ」と思っているが、患者にとって自分らしい人生を送れることをサポートすることが大切。それは病院の中ではできないと思い、医療コーディネーターになった。
乳がんの患者さん
3回の抗がん剤投与後、がんが小さくなったところで手術をするということになっていた。
2回目の抗がん剤投与でがんはちいさくなったが、副作用がひどくなった。体重減少、息苦しい、歩行困難など。
3回目の投与を受けないで手術を受けさせてほしいと患者は頼んだが、医師は、医学的には3回の投与後が良いと証明されていること、身体的にも検査では可能であると主張した。
患者はその病院を退院して岩本さんに相談に来た。
その人が大切にしているものが3つある。自分の体を痛めつけたくない。西洋医学だけに頼らず代替医療を受けたい。子供との時間を大切にしたい。
岩本さんと相談のうえ、根拠のある治療ではないけれど最先端の治療を受けることになった。医学的にみると最善の治療とは言えないが、患者は納得している。医療コーディネーターとして、患者が納得しているという意味ではサポートできていると思う。患者がすべてのプロセスで納得しているかが大切。
医療コーディネーターは中立でなければならない。病院は自身に不利益なことは言いたがらないが、患者視点が強い医療コーディネーターであれば、本音が言いやすい。
患者本人だけでなく、係わる周囲の人たちが患者のその人らしさを考える必要がある。現実的には、医療従事者は考える余裕がないので、コーディネーターのサポートが必要な場合もある。また、もちろん医療従事者だけではなく、家族や友人がサポートの大きな力になる。


? 話題について個人で熟考
話題提供の内容から何を感じたか、一人で考えてみる。
A4用紙に表現したいことがあれば記入。


? グループダイアログ
表現されたものを見せ合いながら、周辺の方と感じたことについて話す。


? 全体共有
どのような話が出たか全体でシェアする。

・自分の周囲の精神的に弱ってきている人に対して、どのような支援をしていったらいいかという話が出た。
・30年後、私たちにできることは何かについて話した。
・コミュニケーションの不成立について
・医療コーディネーターとファシリテーターとの共通点
・この先どうなるかわからない状態で、自分らしい人生を送ることはとても難しいことである。


? 再度、グループダイアログ
先ほどと同じメンバーでも、メンバーを変えても自由に話す。


? 全体共有
円陣を組み、語りたい人が自由に全員の前で語る。個人に対する問いかけでなく、全体に対する問いかけであればOK。

・一人で考えていると抽象的になりがちだが、体験談を聞くことで具体的に考えられる。
・「生きる」とはどういうことか?豚や牛や鳥を殺してまで、人は生きる必要があるのか?
・人間の[〜したい]という欲が「生きたい」原動力になる。病気になって「生きたい」という意味が変わった。
・「自分らしく」は自分で決められない面もある。他人が決める面もあると思う。
・病気に対する周囲の理解も必要。このような場が増えていくことを望む。
・世の中に価値のない人間はいない。
・自分の持って生まれてきた資質と向き合って生きていきたい。
・もっと医療者がコーディネーターとしての資質を持っていればいいと思っていたが、それはおこがましいことではないかと思った。ファシリテートするよりも自分のこととして「生きる」意味を考えてみようと思う。
・多様性を持つこと、相手を思うこと、想像力を磨くこと、センシティブであることが大切であると気づいた。スキルに走りすぎていた。もっと本気でかかわることの必要性に気づいた。
・一人で考えるよりも、こういう場があったことでポジティブに考えられた。その人が自分で考えられるよう寄り添ってあげるという意味では、医療コーディネーターもファシリテーターも同じであると思う。
・専門家だけでなく、皆がコーディネーターのような考え方をもつこと、また、助けてくれる人に対する感謝の気持ちを持つことが大切だと感じた。
・医療コーディネーターの人は、患者の孤独な立場を理解してくれる、世の中にとって大切な存在だと思う。
・医療者、家族がなど共感してくれる人がいないと、患者は孤独になる。
・ファシリテーションは他人と一緒に考えてあげられる、このことが暮らしの中で生かせるのではないか。


以上

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